慶應義塾大学薬学部 教育・研究年報2022
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羅的に捉えるため、実測データに基づくマススペクトルライブラリーの構築を進め、ノンターゲット解析から得られたMS/MSスペクトルから脂質構造を推定するためのアルゴリズムを構築し、約8,000種の脂質多様性をノンバイアスに捉えることに成功した。一方で、一般に脂質は二重結合の数や位置、シス・トランス異性や立体異性の違い、アシル基のグリセロール骨格への配位の違いなどにより、その生理活性や機能が大きく異なることがあり、それら構造異性体をきちんと見分けることは重要である。2022年度は、衝突誘起解離(CID)法に加え、電子誘起解離(EAD)法や酸素ラジカル誘起解離(OAD)法など異なる原理の解離方法を用いることで、脂質構造の分岐鎖や二重結合位置など、より詳細な構造アノテーションを求めるための技術開発を行った。OAD法に基づく解離則の体系化と解析ソフトウェアMS-RIDDを新規に開発し、論文発表および理研・慶應・JSTよりプレスリリース「脂質の二重結合位置を見極める新たな構造解析手法の開発-質量分析と情報科学で脂質代謝メカニズムの解明に貢献-」を行った。このように高網羅的・未知分子探索型のノンターゲット解析技術の開発により、これまでに知られていない脂質の生体調節機能や生理活性分子の同定につながり、メカニズム不明であった生命現象や病態に対して根本的な解を与えることが期待される。 また、生体内で脂質多様性がいかに作り出され、その局在や代謝バランスがいかに調節されているのかを理解するためには、それぞれの脂質分子種の生合成・分解に関わる酵素を特定し、それらの転写制御および翻訳後修飾などによる多階層の機能制御機構を明らかにする必要がある。2022年度は、脂質イメージング質量分析技術の開発として、イオンモビリティ搭載型のイメージング質量分析装置(timsTOFflexMALDI-2)を用いた計測条件の最適化を進めた。それぞれの脂質クラスに対するマトリックスの選択、およびMALDIイオン化条件の最適化を進めた。これらの先端技術を駆使して脂質の構造多様性および分布・局在を総体として捉える「リピドームアトラス」を創出し、特定の脂質が分子集合体として作り出す場(局所環境)が細胞構成因子の動態や機能に及ぼす影響を解明・可視化する研究を推進している。 ⅠI.脂肪酸代謝と生体恒常性の制御に関する研究 生体内には多くの種類の脂肪酸が存在しており、その質の違いや代謝バランスの変化は健康や疾患と密接な関係にある。我々は、生体内に微量に存在する脂肪酸メディエーターを包括的かつ定量的に捉えるためのターゲットリピドミクス解析系(mediator lipidomics)を構築し、炎症・代謝疾患の制御において脂肪酸メディエーターバランスが重要であることを示してきた。中でも、エイコサペンタエン酸(EPA)やドコサヘキサエン酸(DHA)などω3脂肪酸が体内で脂肪酸オキシゲナーゼ(シクロオキシゲナーゼ (COX)、リポキシゲナーゼ (LOX)、シトクロムP450 (CYP)、など)により活性代謝物に変換され、生体調節機能を発揮することを明らかにしてきた。2022年度は、ω3脂肪酸に固有の代謝経路「ω3脂肪酸カスケード」の律速酵素CYP4F18の欠損マウスの解析から、皮膚炎の抑制に作用するEPA由来の17,18-diHETE、非アルコール性脂肪肝炎(NASH)の病態抑制に寄与するDHA由来の19,20-EpDPEなど、ω3脂肪酸由来の機能性代謝物の新規同定に成功し、それぞれ論文発表を行った。このようにω3脂肪酸の機能性発現に関わる酵素や活性代謝物の標的分子が今後さらに明らかになることにより、体内の脂肪酸バランスの適正値やω3脂肪酸の健康増進作用の理解や最適化につながることが期待される。また、ω3脂肪酸の存在量を組織や細胞レベルで時空間的に制御できるコンディショナルFat-1トランスジェニックマウス(Fat-1cTg)の樹立に成功し、今後さらにω3脂肪酸の機能性発現メカニズムについて、時空間レベルの解析の進展が期待される。 4 代謝生理化学講座 68 代謝生理化学講座

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