慶應義塾大学薬学部 教育・研究年報2022
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脳神経組織、網膜、精巣など特定の臓器には、DHAなど長鎖多価不飽和脂肪酸(LC-PUFA)を含有する脂質が他の臓器に比べて多く存在する。長鎖アシルCoA合成酵素(ACSL6)は、LC-PUFA含有リン脂質の多い臓器に特徴的に発現しており、臓器特異的な長鎖アシルCoAの形成に寄与する可能性が考えられた。ACSL6欠損マウスは、運動機能異常、アストログリオーシス、雄性不妊、および視覚異常などの症状を呈する。質量分析イメージングによる空間リピドミクス解析から、網膜に特徴的な脂質(di-DHA含有リン脂質とULC-PUFA含有リン脂質)が視細胞層に局在しており、ACSL6欠損マウスにおいて消失していることが明らかになった。網膜電図(ERG)による視機能解析を行った結果、ACSL6欠損マウスにおいて視細胞由来の視機能低下が認められた。網膜光受容を最適化する膜環境(脂質場)の構築において、DHAなどLC-PUFAを含有する膜リン脂質クオリティが重要であると考えられた。 複雑な代謝ネットワークの多くは未解明である。未知代謝物を含めた網羅的な解析が可能なノンターゲットリピドミクス解析と、未知分子の構造推定を支援するmolecular spectrum networkingや質量分析イメージング技術を組み合わせることで、既存の脂質分子種と菌叢との相関関係を明らかにすることに加え、新たな腸内細菌由来の脂質分子種の同定を進めている。嫌気チャンバーで分離培養した腸内細菌株ライブラリーに対するノンターゲットリピドミクス解析から、着目する脂質代謝物を産生する菌株を同定し、その菌ゲノム情報から代謝酵素をコードする遺伝子の特定を進めている。また、腸管リンパ組織の空間リピドミクス解析を行った結果、特定の腸内細菌由来脂質が選択的に宿主組織に移行している様子が観察された。さらに、着目する腸内細菌由来脂質を調製し、各種受容体を発現するレポーター細胞に対するリガンド活性の評価を行うことで、宿主との相互作用に直接関わる機能性代謝物の同定を進めている。 Ⅳ.皮膚の恒常性維持に関わる脂質代謝系の網羅的メタボローム解析 皮膚に存在する多様な脂質分子は,それらの組成や代謝バランスが適切に制御されることで皮膚の機能性を巧みに制御している。一方で,このようなバランスを制御する機構が破綻すると,様々な皮膚疾患の発症や悪化につながる可能性が指摘されている。2022年度は、Jak1(R878H)の恒常的な活性化により、8週齢ほどでアトピー性皮膚炎様症状を自然発症するモデルマウスSpadeを用いて、経時的なセラミド代謝異常および代謝酵素Degs1の比活性亢進、およびDegs1の基質であるCer[NDS]が病態抑制的に機能することを示し、論文発表を行った。Jak1のリン酸化がアトピー性皮膚炎患者の病変部位で亢進しており、JAK阻害剤はすでにアトピー性皮膚炎の治療薬として承認されている。本研究成果は、Jak1 活性亢進の下流でセラミド代謝異常が生じ、その是正がアトピー性皮膚炎の予防・治療につながる可能性を示した。また、脂質代謝酵素の遺伝子改変マウスを用いた表現型解析により,炎症状態のケラチノサイトで誘導されるリポキシゲナーゼが皮膚炎病態の制御に寄与することを見出した。今後さらに分子メカニズムの解明を進め、皮膚炎疾患における新たな予防・治療標的としての可能性を探る。 V.生体膜リン脂質クオリティと細胞機能の制御 生体膜を構成するリン脂質は,その構造中に脂肪酸を含む。脂肪酸はその炭素鎖長,不飽和度,水酸ⅡI.腸内細菌と宿主との相互作用に関わる脂質代謝ネットワークの解析 腸内細菌は独自の代謝系を持ち、その構造の特殊性と多様性、および食環境や宿主との相互作用など、代謝生理化学講座 5 代謝生理化学講座 69

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