慶應義塾大学薬学部 教育・研究年報2022
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研究概要 2022年度は、WebExを用いたオンライン講義を行った。病態生理学講座、薬物治療学講座、薬理学講座と共同で、1単位の講義を開講した。化学療法学講座は、がん薬物療法2コマを担当した。 化学療法学講座の研究の中心は、抗がん剤とがん治療である。近年、がんの生物学が大きく進歩し、がん細胞に特異的な生存と増殖のメカニズムが明らかになってきた。こうした知見をもとに、多くのがん分子標的治療薬が開発され、めざましい効果をあげている。がんは、分子レベルで治療を考える時代になっている。 がん治療の有効性と安全性を向上させるためには、抗がん剤の効果・副作用に関する研究が必須である。P-糖タンパク質(P-gp/ABCB1)、BCRP(ABCG2)などのABCトランスポーターは、種々の抗がん剤を細胞外に排出するポンプとして機能する。一方、これらのトランスポーターは正常の肝臓、腎臓、消化管などに発現し、種々の生理活性物質・薬物・毒物を体外に排出する働きを担っている。このため、正常組織におけるトランスポーター活性の低下は、抗がん剤の排出の阻害による血中濃度の増大と副作用の増強を引き起こすと考えられる。また、ABCG2、ABCB5などのトランスポーターは種々の幹細胞に発現することが示されており、幹細胞の自己保存的な性質の維持にも重要な働きをしていると考えられている。化学療法学講座では、トランスポーターの生理機能、発現調節、薬物との相互作用などに関する研究を行っている。 近年、種々のがん分子標的治療薬が開発されている。がん分子標的治療薬は、細胞の特定の標的に対して作用するため、その効果を判定するバイオマーカーの開発が重要である。またがん分子標的治療薬も、既存の殺細胞性の抗悪性腫瘍薬と同様に多くの副作用を引き起こす。化学療法学講座では、新しいがん分子標的治療薬の効果と副作用を規定するバイオマーカーに関する研究を行っている。 Ⅰ. CHK1阻害薬に対する耐性細胞の薬剤耐性機構の解明 Checkpoint kinase 1(CHK1)は、DNA損傷に応答して細胞周期のS期あるいは、G2/M期チェックポイントを制御するセリンスレオニンキナーゼである。がん細胞では、がん抑制遺伝子の変異などからDNA損傷に対する細胞周期の停止がCHK1タンパク質を介した経路に強く依存している。そのため、CHK1阻害薬はこれらのがん細胞特異的に分裂期における細胞死を誘導する。本研究では、CHK1阻害薬耐性細胞株を樹立して、その耐性機構を解析することを目的とした。 ヒト乳がんMCF-7細胞にCHK1阻害薬prexasertibを濃度を上げながら処理し、100 nMで生存していた細胞をクローン化することにより、3株のCHK1阻害薬耐性細胞、PRE1-2、PRE1-3、PRE1-4を樹立した。分子標的薬による耐性メカニズムには、標的分子の変異、薬物排出トランスポーターの発現増大、細胞の生存・増殖に関連するby-path経路の活性化が考えられる。最初に、親株およびCHK1阻害薬耐性細胞のCHK1 cDNAのcoding regionの塩基配列を決定したが、遺伝子変異は起きていなかった。次に、cDNA microarrayにより、親株およびCHK1阻害薬耐性細胞の遺伝子発現を網羅的に検討した。その結果、CHK1阻害薬耐性細胞で、ABCトランスポーターの発現増大は起きていなかった。また、P-glycoprotein(P-gp/ABCB1)の阻害薬であるMS-209は、CHK1阻害薬耐性細胞のprexasertib耐性には影響を与えなかった。また、CHK1のkinase活性に関連する遺伝子の発現量に変化はなかった。 次に、PRE1-2細胞で発現の上昇または低下がみられる遺伝子を抽出した。この中で、細胞増殖に関連するLYNの発現上昇に着目した。CHK1阻害薬耐性細胞は、LYN kinaseの阻害剤であるsaracatinibに化学療法学講座 3 化学療法学講座 91

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