慶應義塾大学薬学・薬学研究科は、単科の薬科大学として長年にわたり教育・研究を続けてきた共立薬科大学との合併によって、2008年に誕生しました。
伝統と革新が融合した慶應薬学の歴史を、共立薬科大学時代から紹介します。
創立者は小島昇。資金面では、牧野元次郎顧問(当時の不動貯金銀行創業者)の絶大な支援があった。
当時から大学名に「女子」は入っていなかった。
薬用植物園や運動場等の施設を設置。
大学院は開設当初から男女共学であった。
41名の男子学生が入学。
薬学部キャンパス内にある薬学部附属薬局は日本初。
医療連携の社会的なニーズが高まる中での教育制度改革であった。
医学部・看護医療学部・薬学部の3つの学部が連携した合同教育が始まる。
薬学部・薬学研究科の持つ機能を結集し、慶應義塾内外と連携することで、より高度な研究を可能に。
春学期と秋学期を各々二分する4学期制を導入。
学生が留学など自主的な学びに活用できる期間を設定。
高度先進医療で重要な役割を果たすとともに、先進的かつ指導的な能力をもつ薬剤師研究者(Pharmacist Scientist)育成を目指す
共立薬科大学芝校舎(現在の芝共立キャンパス)は慶應義塾大学三田キャンパスから約2.3㎞、徒歩で約20 分程度のところに位置していました。
また、芝共立キャンパスからわずか200mの地には、北里柴三郎が初代所長を務めた伝染病研究所がありました(1892年設立)。この地は、かつては慶應義塾創始者・福澤諭吉の所有地でした。ドイツ留学から帰国した北里柴三郎のために、福澤が土地を提供して、研究所設立を援助しました。
2人の親交はこの時から始まり、北里は後に、慶應義塾大学医学部初代学部長・慶應義塾大学病院初代病院長を務めました。
*写真提供:慶應義塾福澤研究センター
共立薬科大学の創立者は、慶應義塾大学経済学部を卒業した小島昇です。また、慶應義塾の元塾長である鎌田栄吉が、共立女子薬学専門学校(当時)の顧問を務め、学校の基礎を築くことに協力しました。