薬学部を目指す
高校生の皆さんへ

このインタビューは、
『東進 進学情報Vol.426(2022年7月22日号)』からの転載です。
長谷耕二教授の研究内容、研究室の様子、
高校生の皆さんへのメッセージをご紹介します。

薬学部 生化学講座 教授

長谷 耕二(ハセ コウジ)

長谷 耕二(ハセ  コウジ)

提供:慶應義塾大学薬学部

エレガントな腸管免疫系の調節システム

慶應義塾大薬学部で生化学講座を担当する長谷 耕二教授の研究分野は免疫学である。免疫とは、細菌やウイルスによる感染症など病気(疫)からまぬか(免)れる身体の機能である。長谷教授は、腸管の免疫の調節メカニズムの研究をしている。
「免疫システムを免疫系といいますが、基本的に免疫とは〈自己〉と〈非自己〉(異物)を識別し、異物のみを排除するシステムです。腸管には、食べ物に交じって危険な感染性の微生物も入ってきます。つまり、腸管には、〈非自己〉ではあるものの無害な食物と有害な微生物が常に混在しているわけです。腸管の免疫系は、無害な物質に対しては免疫を抑制し、有害な物質に対しては免疫を発動しています。このように免疫系は、アクセルとブレー キを絶妙に使い分ける特殊なシステムといえますし、非常にエレガントなシステムだと思っています。」
また、腸管免疫システムには、腸内細菌が作る代謝物が重要な働きをすることがわかってきた。
「実験では、腸内細菌がいない無菌マウスを使うのですが、そういうマウスは腸管免疫が異常になってしまいます。普通の人の腸管内には平均すると四十兆個ぐらいの腸内細菌がいるのですが、例えばクローン病という腸の難病にかかると腸内細菌は、半分くらいに減ってしまいます。また、種類の多様性も大切です。腸内フローラとよくいいますが、フローラとは植物相という意味で、簡単にいうと腸内細菌をお花畑に例えています。お花畑には多種多様な花が咲くように、腸内細菌も多様な種類があった方がいい。なぜかというと、腸内細菌は全体で1つの代謝臓器として機能しているからです。我々が食べたものを腸内細菌が分解して、エネルギーを抽出し、出たエネルギーを周りの体にまた戻していく。その過程で いろいろと複雑な代謝が行われ、Aという菌を作ったらBという菌がそれを利用し、そこから出た代謝がCという菌になるというように、クロスフィーディング(異なる菌群間の栄養素のやり取り)が起きているわけです。そのため、ある菌がいなくなると、バックアップする菌がいるのですが、その菌もいなくなると、クロスフィーディングが中断されることになります。その結果、有用な代謝物が不足したり、異常な代謝物が蓄積されることになり、疾患の原因となるわけです」
腸内細菌が減少すると、免疫機能を担うリンパ球が少なくなり、IgAという抗体の量が10分の1になってしまうという。リンパ球は白血球の一部であり、ウイ ルスなどの病原体やがん細胞などの異物を攻撃したり、体内に侵入した異物を記憶し、再度侵入された場合には、記憶に基づいて排除したりしている。また、異物が体内に入ると、排除しようと働く抗体機能をもつたんぱく質が作られるが、 IgAはその1つである。
メタボリックシンドロームも代謝異常によるものである。ウエスト周囲径が男性85cm・女性90cm以上で、かつ血圧・血糖・脂質の3つのうち2つ以上が基準値から外れると、「メタボリックシンドローム」とされる。動脈硬化を進行させ、心臓病や脳卒中などになりやすくなる。
「腸内細菌の異常はメタボリックシンドロームの原因の1つです。腸内細菌が作り出す短鎖脂肪酸という代謝物には脂肪の蓄積を抑制する働きがあります。腸内細菌の異常や、腸内細菌のエサとなる食物繊維の不足で、短鎖脂肪酸の産生が低下してしまうと、脂肪が溜まりやすくなります。さらに、腸内細菌の異常は、後 で触れますように、腸上皮バリアの低下を促します。これにより、菌体成分が体内に流れ込むことで、脂肪組織において炎症が生じ、肥満を加速させます。さらには、高脂血症や糖尿病などのメタボリックシンドロームを引き起こします。こうして腸内細菌の異常による慢性炎症は、アルツハイマー型認知症や NASH(ナッ シュ)と呼ばれる非アルコール性脂肪性肝疾患の発症要因にもなります」
こうした腸内細菌や免疫系の異常による疾患発症のメカニズムの解明に長谷教授は取り組んでいる。

また、"腸上皮バリア"も長谷教授の研究テーマの一つである。「腸管の粘膜は一層の上皮細胞シートで覆われています。腸上皮細胞は、上皮細胞同士が分子のジッパーで結ばれて、外来微生物に対する強固な物理的バリアとして機能しています。また、腸管上皮細胞の 1つである杯細胞は活発にムチンを産生し、粘膜面に分厚いムチン(粘液)層が形成されます。これにより、細菌の生体内への侵入を未然に防いでいます。
さらに、腸上皮細胞は、体内で産生された IgA を腸管内腔へ輸送する働きも担っています。このように腸上皮細胞は単なる物理的バリアとしてではなく、粘膜面による生体防御も担っています。さらに外界の情報(細菌・毒素の侵襲など)を感知し免疫系に伝えるセンサーとしても機能しています」
こうしたことから、腸上皮バリアは生体恒常性維持に重要な役割を果たしていると考えられている。
「腸上皮バリアが破綻すると、リーキーガット症候群、いわゆる『腸漏れ』という状態を引き起こします。
この状態では菌そのものやエンドトキシンなどの菌体成分が腸組織に流れ込むため、粘膜免疫系の制御異常を引き起こし、炎症性腸疾患、食物アレルギー、自閉症スペクトラム障害など多種多様な疾患の発症に関わると考えられていますが、いまだに不明な点が多くあります。上皮バリアと粘膜免疫系は密接な関係にあり、この2つの領域を統合的に研究しています」
長谷教授の研究グループでは、上皮バリア破綻から慢性炎症が発症するまでの病態形成メカニズムについて解析を行い、免疫関連疾患の病態解明と治療技術の確立をめざしている。

病は腸から!

提供:長谷教授

学生とのフラットな関係

長谷教授が腸内免疫システムに興味を持ったのは、あるセミナーに参加したことがきっかけだった。
「学生時代は免疫について勉強していなかったのですが、製薬会社で研究員をしていたある日、国立健康・栄養研究所のセミナーに参加しました。そこで腸管免疫系の話を聞いたのです。そこで先に述べたような『腸管の免疫系にはブレーキとアクセルがあり絶妙なバランスを保っている』 という話を聞いて、とても感動しました。それまでも腸内細菌の仕事をしていたのですが、やはり『腸管免疫系ってすごく面白いな』と再認識し、会社をやめて留学をし、腸管免疫系の勉強を始めたのです」 以来、約20年以上、腸管免疫システムの研究を続け、現在は研究室の学生たちと研究を進めている。
「研究室では、生命維持に欠かせない役割を果たす上皮バリアと粘膜免疫系と、腸内細菌との関連を統合的に解析する粘膜バリア学の研究を行っています。学生は、免疫細胞のはたらきを調節する菌種や栄養シグナルなどを特定したり、疾患との関係を明らかにするテーマを研究しています」
長谷教授の研究室では、学生も1人の研究者として扱われている。
「学生達には、できるだけ自分で考えて自分で課題を解決してもらうようにしています。大まかなテーマや方向性をディスカッションで話し合った後に、自らのアイデアで課題を解決してもらうという実践を重んじるようにしています。研究室内ではできるだけフラットな研究者同士の関係を目指しており、教員を『先生』と呼ぶのは禁止しています」
研究室でのディスカッションはすべて英語で行われている。「日本免疫学会もすべて英語化されており、また英語で発表できないと世界で発表できません。せっかく面白い成果があっても英語で伝えられないと何の意味もありませんから、英語でディスカッションしてもらっています」
長谷教授の研究室では、学生たちはのびのびと研究し、対等に意見を戦わせ、研究成果は世界に向けて発信されている。

長谷教授の研究室でのディスカッション風景

長谷教授の研究室でのディスカッション風景
提供:東進 進学情報

薬学部を目指す高校生の皆さんへ

「これを勉強しておかなければならないという教科は特にはありません。それよりも、できるだけ多様な知識や探求心を養ってほしいと思います。教科書に書いてあることを丸暗記するのではなく、『何故そうなるのか』に疑問をもつことが重要です。大学の学びでも、すごく伸びる学生は『何故そうなるのか』と疑問をもって、自分でどんどん調べます。そうすることで、知識も定着します。『何故そうなるのか』という疑問を常にもってもらいたいと思います。
著名な免疫学者であられた故・多田富雄先生は『免疫学者はシェイクスピアを読め、文学者は相対性理論を学べ』とおっしゃいました。つまり、新たな発想を生み出すには、1つの専門分野ばかりでなく常に多様な知識を得ることで、脳に刺激が与えられるというわけです。実際に多田先生は、生前、能楽者に弟子入りして鼓を打っておられたそうです。本学薬学部では、物理、有機化学、細胞生物、生物化学、免疫学、細菌学、薬理学、薬剤学などの学修を全部やります。つまり、ほとんど理系の教科をもう一回ここで勉強するわけです。そうしなければ、薬学というものは学べません。さまざまな分野の学修をする中で、面白いと思った専門分野を見つけて進むことができるので、ある意味ですごくお得です。大学に入ってから、自分に合った専門の研究室を選ぶことができます。あまり勉強したくない人にはお勧めしませんが、自分をもっと磨きたい人にはすごくいい分野だと思います。
本学には、薬学科と薬科学科の2学科があり、薬学科は6年制で薬剤師の国家試験の受験資格が得られます。薬科学科は4年制でほとんどが修士課程に進学し、その一部はさらに博士課程に進学します。いずれの学科も、製薬業界に就職する学生の割合が高いのが本学薬学部の特徴ですが、薬学科ではもちろん薬剤師としての仕事をする方も多くいますし、薬科学科では研究職に就く学生の割合がより高くなります。本学薬学部での学業と研究は、多様なキャリアを支えることになると思います」
卒業後は、幅広いキャリアが想定されている。「就職先としては、製薬会社や食品の企業が多いのですが、現在、アマゾン、Google、ソニーなどの IT 系企業も健康産業に参入してきています。こうした企業では、情報と薬学のどちらもわかる人材が必要とされており、今後はそういった企業への就職が増えていくと思います」